札幌からせたな町へ
保科さんがせたな町を知ったのは、株式会社つなぐ代表の谷山浩司氏からの紹介がきっかけだった。それまで他の自治体は検討していなかったという。
「自然がいっぱいな田舎で、地域の方と楽しく生活してみたかったんです」
それまでは札幌でEC事業に携わっていた。商品を扱う仕事の経験を、移住先での商品開発というミッションに接続する形で、せたな町への着任を決めた。2025年5月、43歳での新しい生活が始まった。
商品開発という仕事
株式会社つなぐでの業務は、せたな町の地域資源を活かした商品の試作と開発が中心だ。
商品開発の第一弾としては、調味料の町内販売を開始した。地元の素材や町の食文化を反映させた商品を、まずは町内から流通させる動きが進んでいる。
並行して取り組んでいるのが、子どもたちと一緒に行うイチゴ栽培プロジェクトだ。商品開発の素材を町内で育てるだけでなく、地域の子どもたちとの接点を作る活動として位置づけられている。
「今は試作の日々ですね」
商品開発の現場は、ひとつのアイデアが商品として形になるまで、何度も試作と修正を繰り返す地味な作業の連続だ。保科さんが向き合っているのは、その地味さの先にある具体的な「町の商品」だ。
札幌の5割で暮らす
せたな町での暮らしについて、保科さんはこう話す。
「生活費は札幌の5割くらいです」
住居は自費賃貸。家賃水準が札幌と比べて大幅に低い。日常の食材は地元のものが手に入りやすく、外食の選択肢は限られるが、その分支出も抑えられる。
ただし不便さもある。
「日用品の買い物に少し不便さを感じます。好きな時に必要な買い物ができない」
せたな町には大型商業施設がなく、専門品や日用品の幅広い選択肢を求めると、車で函館や長万部・八雲方面まで出る必要がある。
冬の暮らしについては「防寒、除雪」と簡潔に答えた。雪国での生活技能は移住者が必ず通る関門だが、現時点では特別困っている様子はない。
戸惑いと、頼れる人
着任直後、保科さんが戸惑ったのは、業務委託契約と地域おこし協力隊任務の境界線だった。
「最初は委託業と地域おこし協力隊との任務の違いがわからず、困ることが多々ありました」
事業所派遣型の協力隊は、雇用形態としては配属先企業との委託や雇用関係を持つ。その一方で、地域おこし協力隊としての公的な任務もある。どこからどこまでがどちらの仕事なのか、現場に入ってから整理していくしかない部分が大きい。
役場との距離感は「遠すぎず近すぎず」。一番頼りにしているのは、キャンプ場を運営している地域おこし協力隊OBの先輩だという。同じ立場を経験した人が町内にいることは、新人の協力隊にとって大きな支えになる。
任期後 ─ せたな町で居酒屋を
保科さんは任期終了後の定住を予定している。
「居酒屋経営と、季節ごとの仕事をしたいです」
起業を視野に入れている。居酒屋という形を選んだ理由について多くは語らなかったが、町内の食文化と人の集まる場所を結ぶ事業として、商品開発の経験を活かせる選択肢だ。
地域おこし協力隊が任期終了後に町を離れるか、残るかは、各町にとっての切実な指標でもある。任期中に町とどれだけ関係を作り、卒業後の事業の見通しを立てられるか。保科さんはその出口設計を、2年目の段階で具体的に描いている。
これから来る人へ
「自分の場合は良いターニングポイントになり、考え方が広がったので、良い経験になると思います」
保科さんは協力隊という選択について、率直にそう話す。
向いている人・向いていない人については明確だ。
「他人とのコミュニケーションがあまり得意ではない方には、向いていないと思います」
地域おこし協力隊は配属先と地域の人との関係性のなかで成り立つ仕事だ。一人で完結する業務はほぼない。
自治体への要望も、率直に伝えてくれた。
「地域おこし協力隊向けのイベントがもっとあれば、町の人との距離が縮まると思います。役場からも、もう少し細かい指示や指導があればと期待しています」
これは保科さん個人の声であると同時に、全国の協力隊が共通して抱える制度的な課題でもある。配属後のフォロー体制は、自治体によって温度差が大きい。
